全国を巡る旅 第2弾 26日目:稚内~サロベツ原野~宗谷岬
2019年10月6日(日):2ヶ月半に及ぶ長旅の26日目です。
日本の最北端、稚内~サロベツ原野~宗谷岬を巡りました。
本日の移動ルート
走行距離:175キロ
本日の旅の記録
昨晩はJR稚内駅に隣接した道の駅「わっかない」で車中泊しました。
雨上がりの早朝5時過ぎに徒歩数分の稚内港北防波堤ドームまで散歩しました。
古代ローマ建築による回廊を思わせる建造物のシルエットが美しい薄紫の朝焼けに映し出されます。
昭和6年(1931年)から昭和11年(1936年)に掛けて建設された、長さ427m・高さ約14mの半アーチ型防波堤です。
ここが北海道と樺太(サハリン)を結ぶ連絡船の桟橋であった当時は鉄道が引き込まれており、昭和13年(1938年)から昭和20年(1945年)まで「稚内桟橋駅」があったそうです。
その後、昭和53年(1978年)から3年間の全面改修工事が行われ、平成13年(2001年)に北海道遺産に指定されています。
ここは一見の価値ありです。道北に行ったら必ず寄りましょう。JR稚内駅からも歩いて行けます。
稚内の空に二重の虹が掛かりました!良い一日になりそうです。
稚内公園の丘陵から見た景色です。
沖合底曳き網漁船でしょうか。稚内ではスケトウダラ、ホッケ、カレイ等の漁が盛んなようです。
地上80m・海抜250mの高さがある「稚内市北方記念館・開基百年記念塔」です。
明治12年(1879年)の稚内市の開基から100年目に当たる昭和53年(1978年)に建設されています。
展望室からは利尻島・礼文島の他、天気が良ければ樺太(サハリン)まで見渡せるそうです。
サロベツ原生花園を訪ねました。
サロベツ湿原は6,700ha 東京ドーム約1,400個分の広さで、ラムサール条約にも登録されている日本一の高層湿原です。
話が脱線しますが、私はタンチョウに会うのを一つのミッションに北海道へやって参りました。
道北でタンチョウに会う機会は無かろうと思いながらサロベツ湿原センターの職員の方に尋ねたところ、「昨日も上空を2羽飛んでいたが、人目につく場所には降りて来ない」との事でした。
なお、夏場に釧路からこっちに来るそうです。シベリアからではないのですね。
サロベツ湿原の泥炭を掘っていた浚渫船(しゅんせつせん)が展示されています。
昭和45年(1970年)から平成14年(2002年)まで泥炭を採掘していたそうです。
稚咲内(わかさかない)園地です。
遠くに利尻富士が見えますが、山頂は雲に隠れています。
旅の途中でお会いした方に「ガスってる時が多い為、利尻富士を完全な姿で拝むのは難しいかも知れない」と聞かされていました。
ここサロベツ海岸で小一時間ほど粘ってみましたが、時間切れでこの写真がベストな一枚となりました。
しかし、9月末頃には初冠雪するって凄いですね。標高は1,721mです。
北海道を代表する花「ハマナス」です。
夏に開花するようですが、10月初旬のこの蕾は咲かないのでしょうか。
昨日のリベンジでノシャップ岬(野寒布岬)を訪れました。
沖合をハートランド・フェリーが行きます。稚内を再訪する機会があれば、次回は是非とも利尻島・礼文島に渡りたいところです。
稚内灯台です。昨日の曇天と違い、全国2番目の高さのノッポな灯台が映えます。
ピンクの建屋が印象深い「あきかわ屋」です。
この最果ての町でたくさんのお土産を購入しました。
ついに辿り着きました!日本最北端の地「宗谷岬」です!!
一帯が広大な公園になっています。
宗谷岬平和公園と呼ばれており、ここに来ると平和を願う気持ちで心が満たされますよ。
神奈川県から自転車で旅している青年に撮ってもらった一枚です。
夜間はかなり冷え込むので、10月にこの辺りを自転車で旅するのは危険に思えます。
その彼は言ってました。「札幌が楽しくて2週間も留まった為、旅の行程が遅れている」と。
私の札幌滞在は僅か2時間でしたが。
逆光で見辛いですが、樺太(サハリン)が島であることを発見した探検家「間宮林蔵の立像」です。
世界地図に唯一「間宮海峡(現タタール海峡)」と言う日本人名を残した偉業を称えて、生誕200年に当たる昭和55年(1980年)に建てられたそうです。
史跡「大岬旧海軍望楼」です。
明治35年(1902年)に旧日本海軍が宗谷海峡を監視する為に建設したそうです。
その宗谷海峡です。この日は快晴で約43km先の樺太(サハリン)が見えます。
望遠で見るとこうです。
平成7年(1995年)に日米合同で建立された「平和の碑」です。
昭和18年(1943年)に宗谷岬沖で日本海軍に撃沈されたアメリカ海軍潜水艦「ワフー号」の乗組員80名と、そのワフー号に日本海で沈められた日本商船5隻の犠牲者696名の慰霊碑です。
昭和58年(1983年)の大韓航空機撃墜事件の遭難者を慰霊し、世界の恒久平和を願って建てられた「祈りの塔」です。
鶴が羽を広げ首を持ち上げた姿は、事件の真相究明と真の平和を首を長くして願う想いを表しているそうです。
事件発生年を19.83mの高さで、遭難者数を269枚の白御影石で、遭難者の母国数を16枚の羽で表しているそうです。
読んでいると泣けてきました。
世界の恒久平和を願うモニュメントとして昭和63年(1988年)に建てられた「世界平和の鐘」です。
81か国から集められたコインやメダルで鐘を鋳造したそうです。
国内では稚内市の友好都市である沖縄県石垣市の新栄公園、大阪市の花博記念公園、兵庫県尼崎市の元浜緑地、滋賀県大津市の比叡山延暦寺(根本中堂)にも設置されています。
なお、ニューヨークの国連本部には1954年に「日本の平和の鐘」が日本国連協会から寄贈され、国連における平和の象徴とされているそうです。
稚内市は昭和61年(1986年)の国際平和年に「子育て平和都市宣言」を行っているそうです。
ここには市民の善意による10円玉募金の成果と世界98か国から寄せられたコインやメダルを元に造られた「子育て平和の鐘」も置かれています。
国内外の友好都市や姉妹都市との距離が示されています。
昭和46年(1971年)に北海道の牛乳生産量100万トン突破と飼育乳牛50万頭突破を記念して建てられた「あけぼの像」です。
酪農を営む夫婦と思われる男女が宗谷丘陵を向いた像で「天北酪農の夜明け」を象徴しているそうです。
宗谷岬灯台です。北海道では根室市の「納沙布岬灯台」、小樽市の「日和山灯台」に次いで3番目に古い灯台との事です。
食堂 最北端で「ほたてラーメン」を頂きました。たいへん美味しゅうございました。
夕焼けを撮る為のカメラとレンズをテーブルに置いたところ、お父さんが話し掛けて来られました。
お店を始める前の若い頃は写真・カメラに凝っていたそうです。
楽しい会話についつい話し込んでしまい、気付いたら撮影にベストなタイミングを逸するところでした。
慌ててお勘定を済ませて撮影ポイントまで走りました。
どうですか、この美しい夕焼け。
10月初旬のこの時期、最北端の地は17時過ぎに日没を迎えます。
さあ、マジックアワーの始まりです。
海鳥と島影のシルエットも美しいでしょう。
まるで昔のガス燈のような洒落た街灯が夕暮れの空に映えます。
「日本最北端の地の碑」がライトアップされています。
マジックアワーにライトアップが絵になります。はるばる来て良かった~。
この後は道の駅「さるふつ公園」まで移動し、初めて寝袋を使って車中泊しました。
そこには宗谷岬で出会った自転車で旅している青年も辿り着いていましたが、人の邪魔にならない屋内の隅っこで寝ていました。
本日のまとめ
九州に暮らす私には、ずっと北の果てを目指したい想いが本能のように疼いていました。
ついに最果ての地、稚内・宗谷岬に到達できて感慨ひとしおです。
朝焼けも夕焼けもたいへん美しく、二重の虹にも遭遇できた幸運な一日でした。