全国を巡る旅 第2弾 69日目:高野山
2019年11月18日(月):2ヶ月半に及ぶ長旅の69日目です。
日本仏教の聖地と言われる「高野山」を訪ねました。
弘法大師・空海が開いた真言宗の総本山になります。
また、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。
本日の移動ルート
走行距離:173キロ
※この日は高野山の一帯を巡った後、翌日の姫路に近い兵庫県三木市まで移動しました。
本日の旅の記録
昨晩は高野山に近い和歌山県伊都郡九度山町にある、道の駅「柿の郷くどやま」で車中泊しました。
先ずは高野山の入口に建つ大門に寄ります。
正式名称を「金剛峯寺 大門」と言い、高野山の総門です。
過去、山火事などで何度も焼失し、現在の大門は宝永2年(1705年)に再建されたものらしく、高さは25.8mもあります。
なお、左右の仁王像(金剛力士立像)は奈良の東大寺に次いで国内2番目の大きさを誇るそうです。
次は壇上伽藍(だんじょうがらん)エリアです。
高野山全体の総本堂である金堂(こんどう)です。
日本最初の多宝塔と言われている根本大塔(こんぽんだいとう)です。
私は入っていませんが、内部には金色に輝く仏像と極彩色の仏画があるそうです。
真如親王直筆の弘法大師御影像を奉安し名付けられた御影堂(みえどう)です。
元は空海の持仏堂として建立されたそうです。
金剛界大日如来と胎蔵界四仏が奉安されている西塔です。
仁和三年(887年)に弘法大師の遺志である「御図記(ごずき)」に基づいて、高野山第二世の真然大徳が建立したそうです。
一宮から三宮まで三社が並列し、高野明神・丹生明神・十二王子百二十伴神が祀られている御社(みやしろ)です。
神仏習合の原点と言われているそうです。
高野山の総門である大門に対し、ここ壇上伽藍の門は中門(ちゅうもん)と呼ばれています。
続いて奥之院エリアです。
一の橋から御廟までは約2kmの参道が続き、皇室、公家、大名などの墓石群が多数並んでいます。
その数は20万基を超えるとも言われるそうです。
下記のとおり、名立たる戦国武将たちの墓が点在しています。
武田信玄・勝頼墓所です。
石田三成墓所です。
織田信長墓所です。
御廟橋です。ここから先は弘法大師御廟の霊域に入ります。
苔むした墓石に歴史を感じます。
上杉謙信廟です。
昼食は中央食堂さんぼうで山菜湯葉ちらし寿司 1,250円にしました。
普段は精進料理は食べない私ですが、美味しゅうございました!
ここから先は紅葉を楽しみながら散策しました。
僧侶の勉学・修練の道場である勧学院です。
内部の拝観は出来ませんが、道路沿いの紅葉がとてもキレイでした。
高野山真言宗の総本山で座主の住寺である金剛峯寺(こんごうぶじ)の主殿です。
6時から22時までの時間帯で偶数時のみ鐘音を響かせている六時の鐘です。
この鐘楼は豊臣秀吉の家臣である福島正則が元和4年(1618年)に建立したそうです。
この日の高野山は美しい紅葉に溢れていました。
この年(2019年)の見頃は例年より遅かったのでしょうか。
この後は大阪府を越えて兵庫県三木市まで移動し、道の駅「みき」で車中泊しました。
本日のまとめ
弘法大師・空海が開いた日本仏教の聖地「高野山」を巡りました。
今回の旅の道程で「比叡山」「恐山」に続き、日本三大霊場の全てを訪ねる事が出来ました。
宗教や神仏には疎い私ですが、その全てが霊験あらたかな聖地でした。
明日は姫路城と倉敷を訪問します。この長旅もいよいよ最終盤を迎えました。